【告白・男道、書評感想】清原和博という男の生き様を知ったら、感無量の気持ちになった
こんにちは、ちゃんのおです。
突然ですが、質問があります。
日本の野球界で、一番天才だと思うバッターは誰でしょうか?
王氏でしょうか、イチローでしょうか、落合氏でしょうか、
松井氏でしょうか、はたまた大谷翔平でしょうか。
まあ、色んな議論が飛び交ってしまうと思うのですが。
僕が思う、日本人選手の中で、
最高のバッターは「清原和博」だと思っています。
というのも、単刀直入に、
彼は高卒ルーキーの時点で、「3割30本」という一流の壁を、
労せず悠々と突破してしまったからです。
これは今までのどんな偉人でも、
達成することができない、いや、できるわけがない、
そんな偉業を清原氏は、18歳の段階で到達してしまったのです。
よって、
「才能」
という一点で素質を推し量るならば、
一番の天才バッターは清原氏だと僕は思うのです。
今までも、そしてこれからも、
色んな一流バッターは生まれると思うのですが、
あそこまで才気あふれるバッターは今後出てこないだろう、と。
そう予見してしまうほどに、
清原氏のポテンシャルは明らかに群を抜いていました。
彼は打撃タイトルこそ獲得することはできずに、
野球人生を遂げてしまいましたが、それでも彼の鮮烈デビューには、
他の何者も敵う事はできないと思うのです。
さて、そんな清原氏ですが。
ご存知の通り、今となっては覚せい剤取締法違反で、
罪人として服役し、多くの野球ファンを悲しませてしまいました。
あんなに脚光を浴びた彼が、
なぜ地の底にまで堕ちてしまったのか?
僕はそれが一ファンとしてすごく疑問で、
そのモヤモヤを断ち切るためにも、
彼の事をここで一度、解き明かそうと思いました。
そして僕は最近、彼の著書である、
「男道」「告白」
の2冊をまとめて一気に読破してみました。
すると、彼の中に眠る、
憎悪であったり、快感であったり、
色んな複雑な心情を解明する事に成功したので、
今回はこの場をお借りして、それらを吐き出したいと思います。
結論から言うと、彼の全盛期は、
「高校時代~プロ1年目」
に集約しているという事がわかりました。
やはり見立て通り、彼はプロとしてデビューする前後、
その局地的タイミングだけにおいては、
日本の歴史上で最強と呼んでも過言ではない才能の持ち主でした。
彼はそもそも、
「読売巨人軍(ジャイアンツ)」に魅せられ、
当時は巨人の監督だった「王貞治」に憧れ、野球をはじめました。
しかし、いざドラフト会議が始まったら、
なんと巨人は清原氏ではなく、当時はKKコンビと呼ばれ、
相棒で親友だった、「桑田氏」を1位指名したのです。
ドラフト前の段階では、
巨人
「清原君!是非とも我巨人軍に来てくれ!」
と都合の良い事を言っておきながら、
当日になったら、いけしゃあしゃあと裏切られたのです。
しかも、桑田氏に関しては、
「僕は大学に行く!高卒でプロの世界には行かない!」
と清原氏に明かしていたのに、
巨人から1位指名されるやいなや、
あっさりと約束を破り、巨人に入団をしたのです。
つまり、清原氏は、
憧れの巨人から裏切られ、親友の桑田氏からも裏切られ、
甲子園の怪物と評されていながらも、当時は失意のどん底に陥れられたのです。
大袈裟かもしれませんが、
彼の闇分子はこの時点で形成されたといっても、
過言ではありませんでした。
「男道」にしろ、「告白」にしろ、
この当時の話だけは、本人も鮮明に覚えており、
今でもやはり確執は残っているみたいでした。
そして、清原氏は、西武ライオンズに入団するわけですが、
彼の快進撃はここから始まりました。
それこそ、当たり前の話ですが、
桑田氏は1年目ではあまり結果を残す事はできなかったわけですが、
清原氏は違いました。
巨人を見返すために、己の存在を魅せつけるために、
高卒ルーキーでありながら、類まれなる才能を発揮し、
「3割30本」という大台を突破し、なんと新人王にまで上り詰めたのです。
嫉妬、不満、苛立ち、
といった類の失意の力を発揮して、
化け物じみた実績を叩き出してしまったのです。
が、しかし。
彼はここからおかしくなりました。
なまじっか才能だけで結果を出してしまったので、
1年目の時は試合で学んだ事をメモしたり、勤勉であったのに、
2年目からは明らかに手を抜き、メモ習慣もやめてしまったのです。
まあそれでも、才能だけはピカイチなので、
相変わらず4番バッターとして、一流の結果を残し続け、
ついには憧れだった巨人にFA移籍をすることができたのですが。
やはりプロ1年目がピークだった事実には変わりなく、
それ以降はタイトルとは無縁の野球生活になってしまったのです。
しかも途中から、
「松井秀喜」という実力者が同じチームに現れ、
「松井を敬遠して、清原と勝負すればいいや」
という屈辱的な措置をされ、
相手チームから見下されるようにもなったのです。
そんなこんなで八方塞がりになった彼は、
必要以上の筋力トレーニングを行ったり、試合毎に興奮剤を多用したり、
走り込みもサボるようになり、日増しに彼の身体は悲鳴を上げ、
ボロボロの老体に近づいてしまったのです。
そして、まるで賞味期限切れと言わんばかりの、
無慈悲な解雇宣告を巨人から言い渡され、
彼の野球生命は終わりを告げたのです。
(最後にちょっとだけオリックスで活動しましたが。)
とまあこんな感じで、
彼はずっと拍手喝采のエリート人生かと思いきや、
裏では闇の人生を送り続けていた人間だったのです。
そして、メンタルを病み、
過去の栄光時代、ホームランの快感、
ファンを沸かせる快感が忘れられなくなり。
引退後はついに、覚せい剤に手を出してしまったのです。
当時の快感を、覚せい剤で疑似的に再現しようとしてしまったのです。
清原氏は良い意味でも悪い意味でも、
本当に人間臭い男でした。
いわゆる、イチローや松井や大谷のように、
冷静にメンタルを管理する事ができずに、
感情を剥き出しにして野球と向き合っていました。
その結果、逆転ホームランを連発したり、
ここぞってところでしっかりと結果を残す事ができたり、
チームバッティングを優先し、チャンスに非常に強いプレイヤーでした。
ムラっ気はあるものの、型にはまった時は、
どんな選手よりも力を発揮できるプレイヤーでした。
彼が犯した罪は、今まで応援したファンを裏切ったし、
野球界にも多大な悪影響を及ぼしてしまいました。
しかし、どんな理由があれども、
彼は天才であるし、彼の才能は野球界の宝でもあります。
少しでもいいから、野球界に恩返しというか、
何かしらの形で、今後も野球に携わって欲しいとは思うのですが…。
やはり清原氏の失態は大きく、
彼を慕っていた人間は次々といなくなってしまいました。
しかし、そんな中で、
ハマの大魔神「佐々木主浩」氏だけは今でも親交があり、
なんと清原氏の情状証人として出廷したのです。
まだほんの少しでも、清原氏を活路に導く、
一筋の光はあるわけで、その千載一遇を逃さないで欲しいと思います。
そして、僕自身も、
清原氏にとっての佐々木氏みたいに、
本当に頼りになる友人を見つけ、そして頼られる存在になりたいなと。
彼らの友情の垣根を越えた繋がりに、
男として熱い気持ちになった、今日この頃でした。
P.S
清原氏は生まれ変わっても、
絶対にメジャーには挑戦する気がないみたいです。
外国人選手のフィジカルを観た後だと、
自分の無力さに気づき、メジャーでは歯が立たない、
と自負しているみたいです。
あの天才がそこまでへりくだる中、
ピッチャーもやりながら、ホームランバッターとして活躍している、
「大谷選手」は本当にすごいんだなぁ・・・。
と、清原氏の声明を聞いて、
より一層と思うようになりました。
ーーーーーーーーーーーー物足りない方へーーーーーーーーーーーーー ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
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