ナインティナインとロンドンブーツがスピード出世できた理由
こんにちは、ちゃんのおです。
突然ですが、スピード出世って憧れますよね。
普通の人だったら何年もかかる地位を、
瞬く間に実現させてしまうような人を見かけた日には、
嫉妬のような尊敬のような、複雑な気持ちが湧き上がってきます。
で、例えば僕の場合だったら、
今現在もこうやってブログを運営しているわけですが。
できることなら、なるべく速攻で、
アクセスを盛り上げて行きたいと思っています。
さて、そこで今回は、
「スピード出世をする方法」
についてをあなたと一緒に考えていこうと思います。
最近僕は、お笑い芸人を研究していて、
その過程で、彼らの若手時代というか、
サクセスストーリーを研究するのにハマっていたのですが。
特にその中でも、目を惹く経歴の芸人を見つけました。
それが、
・ナインティナイン
・ロンドンブーツ
の2組でした。
この2組の生い立ち、
そしてサクセスストーリー、を知った時、
僕の中で何かが芽生えたというか、何か考えさせられるようになったのです。
ナインティナインがデビューした当時、
お笑い界ではそれこそダウンタウンを筆頭に、
「芸人たるもの、漫才とコントをするべき」
というガチガチのお笑い論が存在していました。
しかし、ナインティナインはそんな風潮を振り払い、
「歌って踊れる芸人」
という価値観を世間に植え付けたのです。
当時は天然素材という音楽ユニットを結成し、
「漫才やコントを磨いている暇があったら、とにかく音楽活動だ!」
という感じで、お客さんを楽しませ続け、
瞬く間に天然素材は、超人気ユニットとして一大ムーブメントを巻き起こしました。
つまり、ナイティナインは
当時の凝り固まった芸人像に固執せず、世間のニーズに応える事だけに注力した結果、
スピード出世で一気に、スターダムにのし上がったのです。
そして、ロンドンブーツについてですが。
彼らがデビューした当時、
「芸人たるやプロであり芸能人であり、素人とは一緒にされたくない!」
という傾向が今以上に強かった時代でした。
今でこそyoutuberのように、
素人と芸能人の定義が曖昧になってきましたが、
当時はまだ、プロに対する敷居が圧倒的に高かったのです。
しかし、そんな中で、
ロンドンブーツはその風潮を振り払い、
「素人いじりをする芸人」
という価値観を世間に植え付けたのです。
その裏付けとして、
ロンドンブーツの田村淳さんが少し前に、
テレビで興味深い発言をしていました。
淳
「俺が若手の頃は、ずーっとファッションのことばかり考えてた。
家賃を滞納してでも、服を買っていた。
だって、女子中高生から人気が出なきゃ、舞台でも客集まらないじゃん。
だから外見が一番重要だと思ってたんだよね。
笑いとかネタとか漫才とか、どうでもいいというか、考えたこともなかった。」
周りの若手芸人が、漫才とかコントのネタを必死に考えている中で、
ロンドンブーツはひたすら外見とか恋愛とか、別のベクトルに突き進んでいたのです。
当時は周りの芸人からも、
邪道扱いをされ、煙たがられた部分もあったと思うのですが、
あっさりと周囲の芸人達をごぼう抜きして、スピード出世しちゃったのです。
つまり、良い意味で素人臭を残したまま、
お茶の間の人間に近い印象を抱かせる事に成功したのです。
「親しみやすい、素人っぽい芸人」
という需要があった芸風を貫いた結果、
彼らはスピード出世で、一気にスターダムにのし上がりました。
ナイナイにしろ、ロンブーにしろ、
鳴り物入りで芸能界に参入したために、
当時は苦しい事もたくさんあったと思いますが。
基本的には落ちぶれる事もなく、
一発屋になる事もなく、今でもゴールデンタイムに冠番組を所有し、
一流のお笑い芸人としてずっと君臨しているのです。
彼らの凄かったところは、
「ひたすら時代のニーズを満たした」
という点に他ならないのです。
一見して華やかな芸風なので、
さぞかし好き勝手に突き進んだと思ってしまいがちですが、
世間の要求にその都度で応えたから、彼らは成功したのです。
当てずっぽうではなく、確信犯だったのです。
もちろん、自分がやりたくない事はやらない、
という一貫性もあったとは思うのですが、あくまでも視聴者を第一優先した、
それこそプロとしての立ち振る舞いを、一貫していたのは事実です。
つまり、「需要と供給」に愚直になった結果が、
今の立ち位置を築かせる事に成功したのです。
正直、今だから言えますけど、
僕は幼少の頃、はじめてこの2組のお笑いコンビを観た時、
「漫才もコントもやらないし、お笑い芸人じゃなくね?」
と思っている部分がありました。
テレビで見かける彼らは、
遊んでばっかりというか、クラスのお調子者みたいな印象がどこかにあって、
「芸人」というカテゴリーではイマイチ推し量る事ができませんでした。
いわゆる「お笑い通」「お笑いフリーク」を僕は気取って、
彼らを勝手に過小評価していたのです。
「人気者を認めない俺ってかっこいい」
みたいな腐った根性がありました。
しかし、あらためて彼らの経歴を知ったら、
むしろ反骨精神の塊というか、何が何でも視聴者を楽しませてやろう、
というコンセプトの基で、自分達の芸風を貫いていた事を知りました。
長い物に巻かれないというか、既存のスタイルに固執しない、
むしろ僕の好きな芸風に近かったのです。
サービス精神も豊富で、
本当の意味でエンターテイメントを守っていたのです。
それを知った僕は、彼らを見る目が変わったというか、
僕自身も何かしら情報を発信する上で、
見習うべき点が多々あることを思い知らされるようになりました。
勝手に彼らの印象をイメージだけで決めつけて、
わかったような気分になって、勘違いをしていた昔の自分が、
急に恥ずかしくなってきたのです。
「ナイナイもロンブーも、めっちゃかっこいいじゃん」
という尊敬の念が、
今となっては渦巻くようになりました。
まあ、冷静に考えれば、
自分たちが好き勝手にやるだけで、
何十年もテレビ業界の第一線にいられるわけがないのですが。
どうしても素人目ではそう見えちゃうんですよね。汗
もちろん、ナインティナイン、ロンドンブーツ以外にも、
魅力的で人気のお笑い芸人は、この世にごまんと存在していますが。
「スピード出世」という観点においては、
お笑い芸人の歴史の中でも、随一だったと思うので、
あえて今回はこの2組にフォーカスしてみました。
さて、今回の一件で分かった事は、
「相手が求めている物を提示する」
という一点さえ厳守すれれば、
訴求は何でもアリだということでした。
「目玉焼きには醤油をかけなければいけない!」
という、半ば思考停止のような、
指示待ち人間はスピード出世とは無縁になってしまうのかなと。
自分が美味しいと感じるならば、
タバスコをかけたって、牛乳をかけたって、
べつに本人の勝手ですからね。
それと同じで、相手が求めている事が何となくわかったのなら、
その需要を満たすためならば、訴求方法は無視して、
好き勝手に暴れまわって良い、という事を学びました。
もちろん、既存のやり方(漫才・コント)をひたすら踏襲し、
いずれは花開く芸人さんもいるとは思うのですが。
それこそよっぽどの才能がないと、
時間はかかってしまうし、それまでに消耗してしまい、
継続が難しくて投げ出してしまう恐れがあると思うのです。
というか、むしろみんなと同じやり方にこだわってしまうと、
ありきたりな物ばかり発信してしまう恐れもあるし、
それは結果的に、相手が求めていない物を提示するのと同義だと思うのです。
僕は一時期、凡人のくせに玄人ぶって、
固執したやり方に酔っている時期がありました。
「俺が面白いと思った物は、みんなも面白いと思うっしょ?」
という職人気取りをしながら、
ブログを投稿している部分があったのです。
しかし、ナインティナインと、
ロンドンブーツのサクセスストーリーを知った今では、
「独りよがりに文句ばっか言ってないで、もっと世間の需要に目を向けようぜ…」
と深く反省するようになり、
グチグチ文句ばかり垂れ流していた過去の記事は、
誰も求めていないので、すべて削除しました。
今考えると、自己満足の情報ばかりを発信していました。
しかし、これからは、
ちゃんと読者の気持ちをリサーチした上で、
相手から求められている記事だけを投稿しようと思います。
計画的に暴れます。
ーーーーーーーーーーーー物足りない方へーーーーーーーーーーーーー ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
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