学生時代にスポーツをやらなかった人間は、大人になったらマッチョになれる
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こんにちは、ちゃんのおです。
僕は普段、デスクワークに従事しているので、
どうしても座っている時間が一日の大半です。
そうなってくると、身体を使って仕事をしている人に比べると、
運動不足になってしまうし、もうそんなに若くないので、
こりゃなんとかしないといかんということで。
数年前から僕は、健康のためにも、美容のためにも、
スポーツジムに通うようになりました。
市営ジムだから1回300円で利用できるし、
プロテインもヤフオクで激安で落札するので、
お金もかからず、週1回は仕事帰りに通っている感じです。
その甲斐もあってか、最近は初対面の人に、
「身体鍛えているんですか?」
と聞かれる事も増え、充実感を味わうようになりました。
と、ここまで聞くと、
生粋のトレーニング愛好家みたいに感じるかもしれませんが。
僕はもともと身体を動かすのが大嫌いでした。
学生時代の体育祭とかも大嫌いだったし、
「スポーツ選手になるわけでもないのに、スポーツやっても意味ねえだろ」
みたいな感じの屁理屈も常套句でした。
だけど、そんなひねくれた僕だったからからこそ、
今となっては理想的な運動生活を送れるようになったのだと、
自負している部分があるのです。
「お前は何を言ってるんだ・・・?」
と思うかもしれませんが、これは大真面目な話で、
「学生時代に怠けていた人間の方が、誰よりも身体を鍛える才能がある」
と本当に思っているので、
これからその証明をしていきたいと思います。
さて、結論から言うと、
「日本の学校はスポーツ=苦行と植え付ける傾向が強いので、
身体を動かす事に嫌悪感を抱いている人が多い。」
というのがすべての諸悪の根源であり、
日本人が先進国の中でもトップクラスで運動をしない国民性になった原因だと、
僕は信じて止まないのです。
というのも、これは言うまでもない話かもしれませんが。
日本人というのは本当に身体を鍛えません。
他の国では徴兵制が義務付けられたりするのもあってか、
「人間たるもの身体を鍛える」
という価値観がかなり根強く浸透しています。
プロテインだって海外製が圧倒的だし、
日本ではフィットネスクラブをあまり見かけませんが、
海外では街のそこらじゅうで見かける割合が高いのです。
これはべつに「身体を鍛えるから偉い」とかではなくて、
そもそも外国人というのは、スポーツとか運動というのは楽しいものと認識しており、
苦行とか試練という概念が薄い場合が珍しくないのです。
それに対して、日本の場合は、
学校の部活に関しても、まるで軍隊のように規律的で、
それこそうさぎ跳びとか水飲んだらダメとか坊主が義務付けられたりとか。
明らかに理不尽で不合理でも、
それを無理やり押し通して生徒を苦しめてやろう、
みたいな邪悪な魂胆が見え隠れしている場面が多々あるのです。
その過程を経て大人になった後に、いざ身体を鍛えようと思っても、
「誰が好き好んで苦行に金払うかよ」
という歪んだ思考を生み出してしまうのは仕方がないと思うのです。
そして話は少し脱線しますが。
日本というのは他の国に比べても、
労働時間がかなり長く、有給休暇の消費率も低くて休みも少ないし、
睡眠時間もトップクラスに短い国として有名なので。
せっかくの貴重な余暇な時間を、
「学生時代に苦しめられた運動に使ってやるもんか」
となってしまうのも無理はないのです。
それこそ僕はアラサーになって、
学生時代の友人と久しぶりに再会する事もたまにあるのですが。
当時は筋肉質でカッコ良くて、運動部で活躍していた旧友も、
中年太りに近づいて、今となっては見る影もなく、
「スタイルの良かったお前はどこにいったんだ!」
と悲しい気持ちになることが頻繁に発生しています。
だけど、これは仕方がないと思うのです。
彼らはスポーツを楽しむとか、運動を楽しむというよりも、
「先生とか先輩に怒られたくないから、しぶしぶ身体を動かしていた」
という背景が強すぎるのです。
だから、いざ大人になって、
部活とか体育と無縁の生活を送るようになった今は、
「これでやっと運動から逃れられるぜ!いぇい!」
という解放感もあってか、
運動不足で運動嫌いな大人になってしまうのだと思うのです。
で、冒頭の話に戻りますが。
僕は学生時代、部活とか体育の授業とかサボりまくっていました。
そして、そのおかげで、
「運動=苦行」という固定観念を植え付けられることもなかったので、
運動で嫌な思いをさせられることも少なかったのです。
そして、大人になった今、
生まれてはじめて真剣に運動を取り組んだ結果、
「あれ、意外と面白いじゃん」
という純粋な感想を抱く事に成功できたのだと思います。
だけど、もしも僕が、
学生時代に理不尽な体育会系のノリを経由させられていたら、
今頃は運動が大嫌いな人間になっていたと思います。
人間が何かを頑張る時に、
「バックボーン」
というのは非常に大切になってくると思うんですよね。
例えば、「プラモデル作り」って楽しんでいる人が多いですよね。
お金を払って、休みの時間を費やして、
ひたすら手先を繊細に動かして、プラモデルを組み立てる愛好家は多いのです。
だけどもしも、
「そのプラモデルを完成させたら1000円あげるよ」
と言われた瞬間、おそらく彼らは苦行を感じるようになると思うのです。
お金のためにとか、仕事とか責任という感情を抱くと、
楽しい気持ちが一変して、まるで苦行かのように感じてしまうのです。
普通に考えれば、プラモデル作りって内職みたいなもんですからね。
車とかバイクいじりも同じですよね。
趣味だから楽しいのであって、仕事と実感してしまうと、
まるで苦行のような錯覚に陥ってしまうのです。
で、運動も同じで、
ピュアな気持ちで取り組むと爽快感も得られるし、
人生においてメリットもたくさんあるのですが。
学生時代に義務的にやらされた人とか、
理不尽で嫌な思いをさせられた学生というのは、
そりゃ大人になったらやらなくなるよね、という話になるのです。
例えば、体育祭の行進練習とかも意味がわからないですよね。
ちょっと列が乱れただけで怒鳴られて、
何時間も何時間も意味のない単純作業に鞭を打たされて。
体育の祭りと書いて体育祭なのに、
そこで嫌な思い出を植え付けておきながら、
「運動を好きになれ!」
ってそりゃ無茶な要求です。
学生時代に部活とかスポーツを、
真剣にやってこなかった人間というのは往々にして、
「自分なんて運動の才能ないよ・・・。」
と及び腰になってしまう人も多いと思うのですが。
むしろ逆です。
日本に蔓延る「理不尽スパルタ運動教育」を回避して、
今日の今日まで生きてきたという事なので、
運動に対するアレルギー反応が薄いのでむしろチャンスです。
何か新しい事をやる時に、変な悪い癖がついた人間よりも、
無垢で何も知らない人間の方がむしろ伸びやすい傾向があるのです。
例えば、野球のバッティングとかも同じで、
変なフォームで素振りをし過ぎて、悪い癖がついてしまった経験者よりも、
何も知らない未経験者の方が、むしろ指導が簡単。
というのと似た話です。
「ビギナーズラック」という言葉がありますが、
運動に関しては本当にこの言葉サマサマだと思うんですよね。
他にも例えば、プログラミングとかも同じで、
大学とか訓練校でしぶしぶ勉強してきた人って、
イマイチ伸び悩んだりするのです。
それこそ僕もエンジニアとして働いていますが、
周りの人達を見ていると、独学で遊びながら勉強した人の方が、
就職した後も意外とイキイキと働いている場合が多いのです。
本来プログラミングというのは、
パズル遊びみたいなもので、リラックスして取り組むと楽しいのですが、
最初の出会いが「勉強」「授業」みたいな入り口だった人は、
満を持してエンジニアになったとしても、
けっこう早い段階で脱落しちゃったりもしています。
大人になってから新しい何かに着手をする時、
「自分みたいな後発組じゃどうせ大成しない・・・」
と自暴自棄になってしまう人も多いと思うのですが。
それが純粋な気持ちで、邪念が入り乱れていないのであれば、
むしろ後発組の方が有利な場面は多いと思うんですよね。
ブログ更新とかも同じで、
「金のために!」みたいな感じで、
邪な気持ちだと苦行に感じるし、まず長続きしないのですが。
「自己成長のために!」
「読者をアッと言わせてえ!」
みたいなピュアなキッカケだと、記事を更新したくてうずうずしてくるし、
それこそ長続きしたりするんですよね。
ーーーーーーーーーーーー物足りない方へーーーーーーーーーーーーー
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